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イチロー独自の高校野球観 高校通算5割超、19本、131盗塁w

サボることばかり考えた/イチローと高校野球 前編
日刊スポーツ 5月30日(土)14時0分配信

サボることばかり考えた/イチローと高校野球 前編
91年3月、松商学園に敗れベンチ前に整列する鈴木一朗(手前)
 イチローの高校時代の思い出、高校野球観とは―。マーリンズのイチロー外野手(41=本名・鈴木一朗)は愛工大名電高時代、甲子園に夏1回、春1回出場し、いずれも初戦敗退。全国的には無名に近い存在でしたが、固い目標として定めた「プロ野球選手になるため」に、高校時代をどう過ごしたのか。イチローならではの独特の高校野球観に迫ります。【前編】

【写真】イチ「どんなにうまいやつでも大したことはない」

 日本だけでなく、メジャーでもスーパースターとして尊敬されるイチローも、幼い頃はテレビの高校野球中継で地元愛知の代表校を応援する野球少年だった。

 「熱心に見ていたのは、小学生のころ。野中(徹博)さん(元阪急)と水野(雄仁)さん(元巨人)との中京対池田(83年夏)とか、あの時代。享栄に藤王(康晴)さん(元中日)がいたりした時代ですね」

 いつかは甲子園でプレーしたい―。そんな憧れを持ちつつも、高校へ入る時点で、目指すステージは異なっていた。

 「僕の場合、そもそも甲子園に行くためというよりも、プロに行くために選んだ学校。おそらく他の選手とは、モチベーションが違っていました」

 イチロー自身の記憶によると、入学当時は身長171センチ、体重63キロ。上級生に見劣りする体格だった。ただ、今や有名になった「空港バッティングセンター」での猛練習を軟球でこなしてきたイチローにとって、硬球への移行は、大きな利点だった。

 「軟式から硬式をやることのメリットを感じましたね。ボールが硬いから変形しない。軟式はどうしても変形しますから、難しい。だから(硬球は)捉えるのが簡単、という感覚でした。名電はみんなも大きかったですが、打ったら僕の方が飛びましたから」

 入学後のイチローは、すぐレギュラーに定着した。3年時には、エースとして背番号「1」を背負った。そこに至るまでは血がにじむような練習があっても不思議ではない。ところが、実際のイチローは正反対だった。

 「寮生活でしたから、どうしても下級生の頃はやらされてました。逃げられない、サボれない。その当時は、みんなと一緒にそこそこやってました。3年生になると、いくらだってサボれましたから。投手で別メニューなんで、サボることばっかり考えてました」

 これまで、深夜に寮を抜け出して独自練習をしていた逸話も伝えられた。そんな「美談」を、イチローは笑いながら否定する。

 「プロに入ってからそういう話が出ましたけど、実際は他の選手の方がやってました。僕はお風呂は1番に入らないと嫌。誰よりも早く練習を終わってお風呂に入ってました。(高校で)全力で目いっぱいやってプロに入っても、プロではやっていけない、というのが想像できたんです。ただ、ドラフトにかかるのは倍率でも難しいですから、最後の夏だけは、一生懸命やった、という感覚でした。そこで結果出さないと、ドラフトにかからないと思っていましたから」

 当時は練習中に水を飲むこともままならず、投手は200球以上の投げ込みをするような時代。そんな中、イチローの考え方は先進的だった。

 「ブルペンで捕手を座らせて投球なんて、ほとんどしたことがない。肩は消耗品、という考えがありましたから、練習でも100球まで。酷使してダメになっていく人が、その頃から何人もいましたからね」

雰囲気にのまれた甲子園/イチローと高校野球 後編

 その一方で、甲子園を目指す気持ちは、誰よりも強かった。プロへ行くためには、「全国区」で活躍することが近道。90年夏、イチローは初めて甲子園の土を踏んだ。

 「よく覚えてます。だだっ広い印象というか、ファウルグラウンドがやたら広くてバッターボックスまでとにかく遠かったです」

90年8月、天理戦で中前打を放つ鈴木一朗
90年8月、天理戦で中前打を放つ鈴木一朗
 「3番左翼」で出場した1回戦。相手は、優勝候補の筆頭で快速エース南竜次(元日本ハム)を擁する天理(奈良)だった。当時、イチローは16歳。さすがに浮つく気持ちを抑えられなかった。

 「雰囲気はやっぱり嫌でしたね。あんな大舞台は初めて。のまれた感じはありました。(打席で)フワフワしてました。地に足が着いてない、ってこういうことか、と思いました。なかなか経験しないし、プロに入ってからもない。甲子園だけでしたね」

 3年春にも出場したものの、初戦でエース上田佳範(元日本ハム)率いる松商学園(長野)の前に、無安打に終わった。最後の夏は、県大会決勝で東邦に敗退。ただ、イチローにとっての高校野球は、次のレベルへ進むために不可欠な期間だった。

 「高校野球は教育的な面もあるし、技術とか将来を見据えている人には大事。ただ、僕にとって、高校野球といえば、すべてを占めていた寮生活。あれよりも嫌な経験はない。今でもそれは大きな支えです」

プロを目指すために進学したイチローにとって、「個」が許されない寮生活は、苦しくもあり、後に振り返ると必要な時間だった。

 「理不尽なことしかなかった。そこを何とか耐え抜いた。何かしんどいことがあったらその当時を思い出しますし、2度とやりたくない経験として真っ先に浮かんできます。それ以外のことは浮かばないです」

 心身共に、少年から青年へ移り変わる、多感な10代後半。家族と離れ、上級生のユニホームを洗濯する日々…。それでも、イチローは、自らの信念と向き合い続けた。

 「あの時代があったから今があると思えることは、実は少ないと思います。ただ、僕の中でハッキリしているのは、高校の2年半は、数少ないと断言できる、大事な時期でした」

 中学卒業時点で、イチローの成績は、学年でもトップクラスだった。それでも15歳にして、野球に専念することを決断した。

 「中学卒業の時点で完全に学業を捨てました。だから、やるしかない、プロになる選択しか、僕にはなかったんです。実際、身内や学校の先生も全員が反対しましたし、そこに立ち向かっていきました。今思えば、よくあんな決断をしたなと思うんですけど、しちゃったんですよね、当時」

 メジャーでプレーする立場になった今でも、高校野球をはじめ若い世代への思いは、人一倍強い。96年から地元愛知で「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」を開催しているのも、少子化などに伴う、野球人口の低下を懸念しているからにほかならない。

 「高校野球が与える影響というのは、それなしにはプロになれないし、野球文化そのものが成り立たないものだと思います」

 実際には、イチローのようにプロを目指す選手より、野球が好きがゆえに完全燃焼する選手の方が圧倒的に多い。導入が検討されているタイブレーク制や、球数制限にしても、球児の気持ちに目を向けた。

 「制限されても、そこで燃え尽きようと思っている子もいるわけですから。大半はそうでしょう。高校野球で全部出そうという人にとっては酷ですよね。そういう姿に心打たれる人たちがいるわけで…。正解はないでしょうね」

 イチローは、必要以上に高校野球を「美化」しようとはしない。プロを目指しても、地方大会の1回戦でコールド負けしても、同じ高校野球。その重さは共通で、ともにリスペクトし合うべきものでもある。ある意味で、だれよりも純粋かつ、真剣に高校野球と向き合ったのが、イチローだったのかもしれない。

(おわり)

**********

◆高校通算打率は練習試合、公式戦合わせて5割1厘




イチロー高校時代成績
 イチローの甲子園出場時の成績だけを切り取ると9打数1安打になるが、高校3年間トータルでは恐るべき数字を残していた。愛工大名電野球部が保管するデータによると、高校通算打率は公式戦、練習試合を合わせ5割1厘。本人が「最後の夏は一生懸命やった」と振り返る91年夏の愛知大会は、8試合で打率6割4分3厘、7試合連続複数安打、7試合連続打点、3試合連続本塁打と手がつけられない数字が並ぶ。

 高1の秋には連続4試合で20打数18安打の固め打ちがある。高3の4月からは出場38試合中36試合で安打を放った。3年間613打席で三振は20個しか喫していない。卓越したミート力はプロでもいきなり通用した。オリックス1年目の92年から、年をまたぎ93年までウエスタン・リーグで46試合連続安打。94年にプロ野球史上初のシーズン200安打到達(210安打)と、一気に花開いた。【織田健途】



当時としてはかなり異質な高校生ですよねw
「センター前ヒットならいつでも打てる」と言って愛工大明電に入ったんでしたっけ。

彼の言う「サボる」という言葉の意味も、「最後の夏だけは一生懸命やった」という言葉の意味も、世間一般での考え方とはちょっと違うんでしょうね。

「サボる」→意味のない練習をしない、意味のある練習に集中する
「最後の夏だけは一生懸命やった」→ドラフトにかかる為に公式戦で結果を出す

といったところでしょうか。

実際には名門校の練習量は半端ないでしょうし、
その中で上級生になってサボれるようになったというのは、
無駄な消耗をする必要がなくなった、必要な練習に集中できるようになったということでしょうか。
実際にはすごい考えてすごい練習してたんでしょう。

それにしても高校通算の成績は飛び抜けすぎですねw
高校通算打率5割超というのは有名でしたけど、ピッチャーなのに高校通算151試合で盗塁131ってw
高校時代の動画見ると、「二盗だけじゃなく三盗もうまい。あいつを四球で歩かせてもスリーベースと同じだ」とか監督が仰っていたようですね。そして当時からこんなずば抜けた選手がドラフト4位。まあ毎年各チーム補強ポイントも戦略も変わってくるし、当時としては線が細く、そこまで大舞台で目立ってない高卒の選手を4位というのは妥当なのかもしれませんが、よく4位まで残ってたなとは思いますね・・・



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[ 2015/05/30 23:46 ] 野球 | TB(-) | CM(0)
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